転職に限らず、人生には多くの転機が存在する。
結婚や出産といったライフイベント、進学や就職といった身分の変化など、人は自らの意思で転機とそのタイミングを選択できる。
この記事では、変化の捉え方を再考し、転機となるタイミングこそあらゆる変化を詰め込むべきであることを強く訴えたい。
人間が同時に使えるエネルギーは限られている
一般的には、上記のようなエネルギーを伴う大きな変化を、同時に2つ以上実施するのは避けた方が良い。
なぜなら、一つの変化だけで1人の人間が持つエネルギーは使い果たされなくとも、2つの大きな変化に同時に対応できるエネルギーを持つ人は稀だからである。
ということは、転職という大きく環境が変化するタイミングにおいては、他に何かをしない方が良いのだろうか?
先ほどの説明を理解されている方ならわかるだろうが、答えはノーである。
むしろ強く、何かしらの変化を同時に起こすことをお勧めしたい。
何かを新しく始めたり、反対に辞めるべきである。
ただし、それらが転職のような大きなエネルギーを伴わない程度のものにするというのがポイントだ。
新しく始めるだけでなく、辞めるのも大きな変化である
私が転職時に実施したのは、禁煙とジム通いである。
かねてより健康への気遣いとして運動を始めたいと思っていたが、なかなかそのきっかけがなかった。
同様に、身体に悪いことは分かっていながらも、タバコを辞めるほどのきっかけはなかなかない。
それでも、これらは清水の舞台から飛び降りるような覚悟を伴う変化というわけではなく、ちょっとしたきっかけがあれば始められるものだ。
それなのに、やりたいことや辞めたいと思っていることを実行できないのは、日常にそれらを始めるほどのきっかけがないだけである。
日常の定義は、そういったちょっとしたきっかけがない日々のことを指すのだから当然だ。
そこで、転職という大きな変化を伴う転機を活用するのだ。
大きな変化に比べたら、相対的に小さな変化は良いスパイスとなりシナジーを生み出せる。
私の場合は、タバコを辞めないままだと、新しい会社のオフィスへの初出社時に、喫煙所の位置を探すことから始めないといけない。
そこで、喫煙所を探さない、と決めれば、出社時にタバコを吸うという悪習に縛られなくなる。
新しいオフィスへの出社という環境の変化を利用して、タバコを吸わないというルーティーンを作ったのだ。
ジム通いはタバコを辞めて健康体になることが素晴らしいと自分に思い込ませるための道具としてだけでなく、新しい仕事で感じるストレスを発散するためと位置づけた。
新しい会社というのは、業界や職種が全く同じ会社から移る場合でも、会社独自のルールやシステム操作、何より人間関係のゼロからの構築といったストレスを感じる場面が多い。
私の場合はアルコールに逃げることが目に見えているので、それ以外にストレス発散の手段を用意しておきたかった。
こうして、転職という大きな変化と同時に小さな変化である禁煙とジム通いを実行した。
小さな変化はなんでも良い。
私は何度か転職しているが、上述の禁煙とジム通いだけでなく、ある転職のタイミングではオンライン英会話を始めた。
始める事や辞める事について、ジム通いやオンライン英会話のような”意識高い”ものである必要は全くない。
人に言えない事で全く構わないと思う。
直したい性格があったとして、具体的に行動規範を定めたり、反対に使わない言葉や表現を決めるというのも良いと思う。
とにかく転職という大きな変化を伴うタイミングにおいて、今まで胸に秘めていた本の少しのきっかけで動き出せることをやってみて欲しい。
繰り返しだが、こういったきっかけは人生にそう何度も訪れない。
自分からそういったきっかけを日々作り出せる人が稀にいるが、たいていの人はそうではない。
一つでも多くの変化を同時に作りだそう。
小さな変化を起こそうとした自分を褒めよう
転職は大きな変化であると述べてきたが、変化を伴う期間は限定的である。
当たり前だが、転職というのは新しい会社に慣れるまでという終わりが明確にあり、それを過ぎれば日常となる。
転職時に同時に新しく始めたことも、ある一定期間が過ぎれば日常となる。
そうするとせっかく始めたことを辞めてしまうこともあるのだが、私はそれで良いと思っている。
死ぬまで意識高くいることはできない。
稀にはいるが、私がそれを実行しようとすると大変息苦しい人生になる。
小さな変化を起こすにはきっかけが必要で、転職という大きな変化を利用して無理矢理自分を突き動かした。
後で続かなかったにしても、また始めれば良い。
一度始めているので、今度は転職のような大きなきっかけがなくとも始められるはずだ。
私も一時期仕事が忙しいのを理由にジム通いの頻度が少なくなってしまったが、夏に沖縄旅行で水着になりたいという何とも邪な動機でジム通いの頻度を増やした。
かつては必要だった大きなきっかけが小さなきっかけで事足りるようになるなら、それは人生の財産である。
どうか自分で決めたことを続けられない自分を責めないでほしい。
人間なのだからそんなことはあって当然だ。
聖人君子のような顔をしているあいつも、決して中身はあなたと変わらないただの人間である。
また始めれば良いのだ。何度でも。