プロフィール

経歴

学歴

  • 地方の公立高校 普通科
  • 都内の中堅私立大学 理系
  • 北関東の単科大学大学院 修士課程

職歴

  • 日系マーケティングリサーチ会社のリサーチャー
  • 外資系医療機器メーカーのマーケティング担当
  • 外資系医薬品メーカーのメディカル部門
  • 外資系コンサルティングファームのコンサルタント←イマココ

サイトを通じて伝えたいこと

私はこれまで3度の転職をし、現在働いている外資系コンサルティングファームには32歳で入社した。

大学院の修士課程を修了して24歳で社会に出ているので、約8年で3度の転職をしたことになる。

客観的には、働いている期間の割に転職回数が多いと思われることだろう。

というか実際に転職エージェントにもそう言われ、今まで勤務した会社の同僚においても、同僚と比べて転職回数は多い部類に入っていた。

しかし、それが一体何だと言うのか。

私は転職を通じて、人生を自分の手に取り戻すことができたと思っている。

自分の足で歩み、自身が責任を取り、夢を持つことができた。

私にとっては、全て必要なプロセスだった。

それを否定される筋合いなどない。

この“大して多くない”転職の経験を経て私が感じたことを、仕事に悩む全ての人に向けて発信したい。

転職という手段が常にその悩みを解消するとは言えないが、一つの選択肢にはなり得るはずだ。

なぜそう思うのか?どんな未来が待っているのか?具体的に何をすべきなのか?といった内容を丁寧に伝えていく。

転職回数を論じることの無意味さ、変えられない学歴や職歴という過去に執着すること、エビデンスのない転職限界年齢など、世の中には排泄物ほどにも無意味な言説が溢れている。

最後に、伝えたい。

人生諦めるにはまだ早い—こんなところで終わってはいけない。

アウトサイダーを名乗る理由

私はいつだって本流ではなかった。

小学生の頃は、ある理由で給食が食べられない時期があり、お弁当を持って行っていた。

他にそんな奴は見たことも聞いたこともなく、毎日惨めな思いをしていた。

いつも後ろからお弁当の中身を覗いてくる奴がいて、そいつのニヤニヤした顔を今も覚えている。

今ならそのまま後ろに思いっきり頭を振って、そいつの鼻をへし折ってやれるくらいに心が強くなったが、当時は自分の失敗作っぷりに子どもながら辟易していたと思う。

また、皆がドッジボールをしている輪に入れたのは小学校高学年で、それまでは虫と遊んでいた。

友達がいなかったわけではないが、同じように集団で遊べない子どもは多くなかったように思う。

「子どもは元気に外でボール遊びをするもの」といった”常識”は、大人の思い込みであることを、自分自身の学校生活から感じていた。

中学や高校も無難に過ごした。

友達はまあまあいたし、部活もやっていたので、傍目にはごく普通の学生に見えていたと思う。

だがずっと集団行動は苦手だったし、人に合わせることが苦手で学校は苦痛だった。

高校生になっても小学校当時と本質的には何も変わっていなかったのだ。

その後、大学、大学院を経て、社会人になるのだが、そこでも何も変わらなかった。

柔軟性がなく、衝突した。

同期とも仲良くなれない。

終いには破壊的に記憶が無くなるまで酒を飲む日々、もはや自傷行為である。

コロナ禍当時、「学校に行けなくて寂しい」と全ての子どもが思っているかのように喧伝されていたが、学校が苦痛な私のような人間にとっては、自宅からリモートで授業が受けられるなど最高でしかない。

私はコロナ禍に突入する前に医薬品メーカーの学術担当で医師と対話するのが仕事だったのだが、相変わらず誰かと話すのは苦手なままだったので、自分には向いていないと感じていた。

しかし、コロナ禍で全てが変わった。

対面でなくリモートだと緊張しなかったのだ。

面白いように面談を進めていけるようになった。

そして自信を手に入れ、アポの獲得数も高い評価を受けるほどになった。

まさに私にとっては神風だった。

対話が苦手な奴が、対話に関して高い評価を受ける。

環境が変われば、はみ出し者でも勝てるのだと知った。

世の中はどうしても多数派が織りなすストーリーにそぐわない人間を排除したがる。

私は集団行動が苦手なだけでなく、とんでもなく繊細で傷つきやすいのに、あるときはとんでもなく衝動的に行動することがある。

25歳で離婚歴を手に入れたり、最初の転職は正直何も考えておらず100%勢いであった。

どこにいても、自分は王道になれない。

まともに行動できる人が羨ましい。

30歳を過ぎるくらいまでは本当にそう思っていた。

真人間になりたかった。

でも今は違う。

ありがたいことに仕事を通じて出会った方々に、人付き合いの在り方や愛を持って接することの重要性を学ぶことができた。

そんな日々を過ごしていると、仕事に限らず、プライベートでも素晴らしい方、信頼できる方と出会えた。

というか出会いだけでなく、あるべき人間関係を自分の中で確立できたことが大きい。

そうして自分自身を見つめ直し、そして赦し、今は自分が好きになれるようになった。

それもこれも、転職という手段を活用したからだ。

コロナ禍のような外部環境の変化にヒントを得て、どうやったら自分は勝てるようになるのかを真面目に考えるようになった。

必ずしも転職という手段でなくとも、自分が評価されるために何ができるかを日々考えている。

私は心を手に入れた。

人生を諦め、無敵の人になろうとしている人に言いたいのだが、まだできることはある。

一日の大半を過ごす仕事が充実し、満足の行く待遇を手に入れたら、まだ人生捨てたもんじゃないぞ。

その日々が自分に自信を与え、他者を思いやる余裕さえ生み出すことになるのだ。

他人と違って何が悪い。

同じ人間などつまらない。

まだここに書けない失敗が山ほどあるぞ。

「惨めな想いをすること」が死因で死ぬことはないのだから、やるだけやった方が良い。

あゝ

アウトサイダー万歳。